1月の静かな午後に。離れた場所で見つめた、セイラの手術の日
出張先の山形は、朝からしんしんと雪が降っていた。
見慣れたホテルの窓から外を眺めていると、スマホが鳴る。
妻からのLINEだった。
「今日、セイラの手術に行ってくるね。」
一瞬、時が止まった気がした。
そうか、今日だったか――。
頭では分かっていたのに、実際にその文字を見ると、胸の奥に何かが沈むようだった。
外は白一色。
ホテルの暖房の音だけが響く中、「たぶん大丈夫だろう」と自分に言い聞かせながらも、どこか落ち着かない気持ちを抱えていた。
元気だったあの日の連続写真
1月15日、セイラは元気に走り回っていた。
リビングを全速力で駆け抜けて、カーテンの陰からひょいっと顔を出す。
「オジョーにゃん」と呼ぶと、こちらを振り向いて尻尾を揺らす。
あのときの無邪気な姿を思い出すと、「手術」と聞いても現実感がなかった。
それでも、避妊手術はいつか通らなければならない道。
猫と暮らす以上、命を預かる者として避けては通れない。
分かってはいた。
けれど、頭と心は、いつも少しずれて動く。
画面越しに見た、痛々しい小さな姿
次の日の夜になり、またLINEが届いた。
妻からのビデオ通話だった。
画面の向こうで、カラーをつけたセイラが小さく丸まっている。
全身タイツのような術後服に包まれた体。
小さな胸が、かすかに上下していた。

「大丈夫だよ」と妻は言う。
でも、その声の奥にある疲れと不安を、僕は感じ取っていた。
男の僕には分からない、母親としての痛み。
そして、猫に人間の都合を背負わせるという現実。
かわいそうだなぁ――。
ただ、それだけが胸の中に広がっていた。
抱きしめることも、撫でることもできず、
画面越しに「がんばれよ」とつぶやくしかなかった。
妻の献身と、家族のかたち
その夜、仕事を終えてホテルに戻ると、妻からメッセージが届いていた。
「ちょっとだけ、ご飯食べたよ。」
たったそれだけの言葉なのに、心の中に光が差すようだった。
開腹手術の翌日。
痛みと不安で動けない中、ほんの一口でも食べたという報告が、どれほど救いになったか。
家に残る妻は、夜通しセイラの様子を見ていたらしい。
体温が下がらないように毛布を調整し、お水を飲ませ、トイレに行くタイミングを見計らう。
“支える人”と“見守る人”。
それぞれの場所で、家族としての役割を果たしていた。
助成金が支える命の輪
足立区では、メスの避妊手術に4,000円、オスの去勢手術に2,000円の補助が出る。
去年、シャアのときにも利用した制度だ。
こうした仕組みがあるからこそ、多くの飼い主が命と向き合うきっかけを持てる。
ありがたいことだと思う。
「でも、金額じゃないんだよね」
妻がそう言っていた。
確かにその通りだ。
制度があっても、最終的に決断するのは家族。
その瞬間に感じる迷いや痛みは、お金では測れない。
再会の日、そして「おかえり」
数日後、妻から「もう元気に走り回ってる」と連絡が来た。
その言葉を読んだ瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
あのタイツ姿のセイラを見た後だからこそ、その回復ぶりが奇跡のように思えた。
出張を終えて帰宅した夜。
部屋を開けると、少しぎこちない足取りでセイラが近づいてきた。
小さな体で、でもしっかりと前を見ている。
その目を見た瞬間、「おかえり」と言われたような気がした。
撫でようと手を伸ばすと、ほんの少しだけ顔を擦りつけてきた。
痛みの記憶が残る体で、それでも甘えてくる。
その強さに、言葉を失った。
命とともに生きるということ
猫は言葉を話さない。
けれど、彼らはちゃんと「生きる理由」を教えてくれる。
人間の都合で守られているようで、本当は僕たちが救われているのかもしれない。
今、セイラはあのときのことを忘れたように元気に走り回っている。
ご飯をねだり、シャアを追いかけ、窓際で日向ぼっこをする。
その姿を見るたびに思う。
――あの1月の午後の、あの痛みも不安も、
全部、この穏やかな日常のためにあったんだと。
命を守るということは、誰かの痛みを引き受けることでもある。
そして、どんなに離れていても、想いはちゃんと届くのだと教えられた日だった。
🐾あとがき
セイラの避妊手術から、もう2年以上が経ちました。
今でも、あのタイツ姿の写真を見ると胸が締めつけられます。
けれど、それも家族として過ごした大切な記録。
これからも、猫たちと共に“生きる”という時間を大切にしていきたいと思います。
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